浜松アルバム

  

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秋の一乗谷と永平寺

 朝倉氏は越前(福井県)の地頭として南北朝時代に一乗谷周辺を支配し、拠点にしていました
応仁の乱以後朝倉孝景から5代、100年余り隆盛でしたが、織田信長との戦いに敗れ、絶滅しました。

昭和42年から発掘が開始され、特別史跡に指定されました。武家屋敷や庭園、街の様子、井戸、下水施設など、高度な文化を保持していたことが分かりました。







































































永平寺
1244年道元禅師により開山された座禅修行の寺です


















(2025.11.13.)


遠州灘舞阪の海開き花火

















(2025.7.05.)

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森林公園(浜松市)














(2025.7.03.)

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法多山 尊永寺(袋井市)



厄除観音 法多山 尊永寺
1300年前、神亀2年(725年)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山しました。 寺号を尊永寺、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は、古来より俗に厄除観音と呼ばれています。















可睡斎 ユリ園























(2025.6.12.)

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 薔薇の都苑 (丹精込めた個人の薔薇の園)











薔薇のエッフェル塔


深紅の大輪





五重塔に薔薇をはわせる








鳩の形に仕立て
(2025.5.22.)

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ガーデンパーク (浜松市 中央区 村櫛)

2005年に開催された浜名湖花博の跡地、ボランテイアによって手入れされたガーデンの花々が
見事に咲き誇っています
 






















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浜松フラワーパーク2025




















2025.5.30.
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名品でたどる 東洋陶磁
(浜松城公園内 浜松市美術館)

 浜松市名誉市民である小杉惣氏のコレクションが市美術館で展示されました。
酷暑の今夏、台風からの湿った風が吹き、今だ秋は来ないままですが、晴れの日を見つけて観賞してきました。
中国、韓国のものでしたが、個人の蒐集にしては数も多く、年代も古く、破損せずによく保存されていることに驚きました。なかなかの量の展示品で、ゆっくりと楽しめました。浜松城公園もまだ緑のままで、静かで、坂道も苦にならず歩けました。
駐車場も近く、ゆったりとした環境でお勧めです。(2024.10.31.)






藍地白花金彩竜文瓶(明時代


浜松城公園


灰陶加彩駱駝胡人俑(唐時代)














三彩唐草文壺(明時代)








青磁蓮華文瓢形水注(高麗時代)

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大井川鉄道 門出駅 (静岡県島田市)

大井川鉄道は 静岡県島田市に拠点があり、大井川本線と井川線の2つの鉄道路線を運営しています。ここでは蒸気機関車 SLが動態保存され、日本唯一のアプト式ラック鉄道として知られています。景色の良い大井川沿線を走るSLは人気があり、観光客は多いようです。

2020年(令和2年)11月、島田市とともに複合施設「KADODE OOIGAWA」を開業、駅名を今風に変更して申請し、新駅「門出駅」を開業しました。さらに、「五和(ごか)駅」を「合格駅」に改称したため、受験生たちに人気の路線となり、駅周辺は賑わうようになりました。隣接して近代的なマルシェも開業しました。明るく清潔な市場には新鮮な食材が並び、品ぞろえもセンス良く、多くの人々でにぎわっていました。新しい試みが大成功となった良い例だと思います。新東名高速の「島田金谷インター」の設置で、人と物の流れが大幅に増えたことも、幸運だったのでしょう。企画力の良さが見事でした。 (2021.3.02.)



門出駅のSL



駅向かいのマルシェ



門出駅プラットホームにあるお茶色のポスト


マルシェ全景 奥にお茶のブース





特大どら焼きを門出のおともに

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楽器博物館(浜松市中区)

浜松市にはヤマハ楽器、河合楽器などのメーカーがあり、楽器製造においてはその生産量が世界一と言われています。

「楽器博物館」は、日本で初めての公立楽器博物館として平成7年(1995年)に展示を開始しました。 2010年1月には電子楽器展示コーナーが開設され、外国製シンセサイザーをはじめ、国産アナログシンセサイザーやリズムマシン、電子オルガン、エレキギターも紹介されています。

ここにはヨーロッパをはじめ、アジア、オセアニア、アフリカ、アメリカなど、各地の楽器が郷土色豊かに展示されています。日本の楽器は、ほぼすべてを見ることができますから、音楽にあまり関心がなくても、楽しんで見学できると思います。

秋晴れのひととき、友人とともに見学に出かけました。地下一階には沢山のチェンバロが展示されていて、演奏もしてくれます。チェンバロは16世紀頃に全盛を極めましたが、18世紀後半から、より表現力のあるピアノが現れたことによって人気が落ち、19世紀には殆ど演奏されることがなくなり、楽器製作もされなくなりました。ここではその貴重な珍しいコレクションに出会うことができます。開館20周年にあたる本年は、浜松や日本のみならず、世界に目を向けた様々なイベントが開催されているとのことでした。(2015.10.29.)
 



楽器博物館前


国際ピアノコンクールが行われる会場
後方はアクトタワー



正面の演奏ブース


チェンバロ(フランス)


楽譜


チェンバロ(イタリア)


オルガン


携帯オルガン


パイプオルガン



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京都のお寺


天龍寺


銀閣寺


石山寺


鞍馬寺


竜安寺


天龍寺

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浜松ガーデンパーク五月

















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晩秋のガーデンパーク2024





























(2024.11.16.)
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浜松ヤマハのバイク












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浜松にも雪が降りました (2017年)








2017年

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久能山東照宮


川幕府の初代、徳川家康の墓所です。400年以上前、家康は遺言をして、静岡久能山に葬られました。全国に多くある東照宮の中で最古であるこの神社は、全国の東照宮の基礎となっています。美しい装飾が施された久能山東照宮の社殿は2010年に国宝に指定され、後年葬られた栃木県の日光東照宮は、ユネスコの世界遺産に登録されています。









スペインから家康に贈られた時計






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富士山の宝永山火口





爆裂火口









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長篠 設楽原の古戦場(愛知県長篠市)

  「長篠の戦い」は、1575年6月29日、三河国長篠城(愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と、武田勝頼が戦ったとされる争いです。決戦地が設楽原(設楽ヶ原)だったため、「長篠・設楽ヶ原の戦い」とも言われます。昨年の大河ドラマ「どうする家康」の舞台にもなりまたし、浜松からは近いですから、連休前の春の晴れ日に出かけてみました。

低い山や深い谷が折り重なるような山深い所から開けた土地に出ました。信長の提案により「三千丁の火縄銃」を繰り出したとされる「馬防柵」が地元の方々によって再現されて残されていました。そこに立ってみましたが、ここで3万を越える兵が戦ったとはどうにも思えない周辺の土地のサイズでした。

設楽原歴史資料館には火縄銃や鉛玉など、が展示されていました。近くに併設されている「長篠城史跡保存館では城の危機を救った鳥居強右衛門の「磔死」の雄姿(?!)が目につきました。郷土の誇りなのでしょう。

新城市の新城総合公園近くにある長篠堰堤(ながしのえんてい)に行ってみました。、「三河のナイアガラなどと書いた小さな看板がありましたが、またまた大袈裟な、、、などと思っていましたら、ナイヤガラもびっくりの大きな滝でした。幅100メートルに広がる長篠堰堤の「余水吐(よすいばき)」の迫力は圧巻です。この素晴らしい景色をもっと整備し、広めたら、大きな観光資源になると思いました。(2024.4.26.)



蓬莱山 設楽原一帯


再現された馬防柵


鉛玉


日本三大堰堤の一つ長篠堰堤(圧巻です)(2024.4.26.)

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昇仙峡と武田神社(山梨県甲府市)
野辺山高原平沢峠からの八ヶ岳




昇仙峡











武田神社

神社境内

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大井川鉄道
奥大井湖上駅付近(静岡県)













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大樹寺 (愛知県岡崎市)

愛知県岡崎市にある大樹寺は、徳川家康の前へ五代さかのぼった松平家が創建した菩提寺、本尊の阿弥陀如来は平安時代末期の作と言われています。
家康が19才で今川勢として参戦した「桶狭間の戦い」で今川義元が思いがけず討ち死にし、信長に敗れた時、信長の追っ手を恐れて逃げ込んだのが大樹寺であり、自死しようとしたとき、寺の住職に止められたという話は知る人が多いようです。その時、住職が言った言葉が有名な「厭離穢土、欣求浄土」です。

立派な山門を持ち、宝物殿や多宝塔がある歴史的なお寺です。NHKの大河ドラマ「どうする家康」の人気もあって、訪れるひとが多くなることでしょう。 (2023.4.07.)









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竜ヶ岩洞 (浜松市北区引佐町)


 浜松市北部には、二億五千万年前の地層といわれる「秩父古生層の石灰岩地帯」があり、こうもりが飛び出す穴として昔から地元では知られていたそうです。発見された穴を掘ってみて、鍾乳石に気づいた人々は手堀りで掘り始めました。

1981年頃に引佐町の戸田氏によって本格的に発掘が開始され、1983年には一般公開されるようになったという、比較的新しい鍾乳洞です。場内は整備されて歩きやすくなり、いろいろな説明も増えたので、以前よりも楽しめるものになっていました。 













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油山寺と可睡ゆり園(静岡県袋井市)

 油山寺は、行基による開山から1300年以上たつ真言宗のお寺です。目や足腰にご利益があると信仰され、病を癒やす薬師如来が祀られています。
建久元年(1190)源頼朝が眼病平癒のお礼として寄進しました。その後は、孝謙天皇をはじめ、今川義元や、皇室・諸大名から篤い信仰を受けてきました。

境内にある三重塔は、高さはおよそ23メートル、豪壮な木割や強大な相輪、屋根の美しい反りが見事で、複雑な枡組(ますぐみ)など、桃山時代の特徴をよく表しているそうです。上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、安定感のある美しい塔です。、

可睡のゆり園は、百合の花が咲き始めていて、全山が花に埋まる時期はもうすぐです。数種の色の百合が山ごとに植えられ、アジサイも新種のものが多く色鮮やかで、楽しめます。(2024.6.1.)

























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旧蒲郡プリンスホテル

 愛知県蒲郡の丘の上に建つ蒲郡クラシックホテルは、城郭風の建物と格調あるクラシックな雰囲気が魅力です。和風庭園と眼下の竹島の景観が素晴らしくて、まるで海のパノラマ写真を見るようです。
1934年、鉄道省(当時)の国際観光局が計画した国際観光ホテルの一つであり、時代の荒波をかいくぐり、名前を変えながら生き残ってきた風格あるホテルです。50年前に泊まった頃は高度成長期に向かう時代で、ホテル内も賑やかで華やかでした。今はもう往時のにぎわいはありませんが、数組の年配の女性たちが楽しげに午後のお茶の時間を過ごしていました









クラシックなロビー

吹き抜け



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鳳来峡・乳岩峡周辺

 愛知県新城市には鳳来峡と呼ばれる風光明媚な景勝地があり、とくに秋の紅葉シーズンが美しいと言われています。乳岩峡は岩盤上を流れる透明度の高い川水の美しさで知られています。近年は、新東名高速や三遠南信自動車道の一部開通により、アクセスも便利になりました。紅葉の名所として名高い鳳来寺山は、愛知県の県鳥であるコノハズクが棲息しているのだそうです。鳳来峡周辺の山全体は国の名勝天然記念物に指定されています。(2020.5.22.)















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 スカイウオーク三島

全長400mの日本一長い吊り橋「三島ウオーク」です。橋の上から富士山や駿河湾の絶景を堪能出来ます。





日本最長400mの吊橋
パンフレットからの画像(プロによるベストアングル)








南エリアのスカイガーデン


北エリアのアクティビティ
東京五輪に追加されたスポーツクライミングなども
できるように整備が進んでいました。(2019.6.11.)

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小国神社 (静岡県周智郡森町一宮)








 
2021.12.02.
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龍潭寺のライトアップ 静岡県浜松市北区)


井伊家菩提寺 大河ドラマ「直虎」の舞台





(2021.11.30.)

潭寺の 新緑


龍譚寺山門

 井伊家
井伊 直政(いい なおまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将です。家康の「天下取り」を支えた功臣「徳川四天王」の一人として世に知られています。

政治的手腕に優れ、当時の有力武将達から「直政は小身なれど、天下の政道相成るべき器量あり」と評価されたといいます。これは直政がその気になれば、天下を取ることもできるということを意味していますから、かなりの人物であったことは事実でしょう。

後に彦根藩の第15代 藩主となり、政治的権勢をふるった井伊直弼は「桜田門外の変」で水戸藩の脱藩浪士たちに殺害されました。終末期の 江戸幕府で大老 を務め、日米修好通商条約 に調印し、日本の開国 近代化を断行した人物としての評価は大きいものの、強権をもって反対派を粛正した「安政の大獄」によって、直弼の評価は二分されることになりました。
幕末という一つの時代の終わりにおきた「大老暗殺」テロは、脱藩浪士たちの悲惨な最期をとおして、先を見通せなかった者の憐れさと、権力者達の狡猾さを、今なお考えさせられます。 (2012.5.03.)














 ご案内頂いた龍譚寺は、本当にいいお寺でした。
徳川四天王、直政出生の地はいつか訪れてみたいと思っていました。駿河、三河には徳川ゆかりの場所がいくつもありますが、見応えがあり、格調高いお寺は珍しいです。徳川時代の岡崎にある菩提寺でさえ比較になりません。

三河は単に家康の生誕の地というだけですが、直政の時代には「家康四天王」とは言っても一番の年少なのですが、それでいてもうその頃にはすでに財力の違いがあったのでしょうか、、財力をひけらかす秀吉とは違い、精神的文化、仏教精神が浸透していたことがうかがえますね。
なにはともあれ、良い一日でした。有り難うございました。
(Sさんの手紙より)


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浜松城(静岡県浜松市

家康の住んだ城として知られている浜松城は、静岡県浜松市の市役所に隣接した公園内にあります。秋晴れの一日、遠来の友人とともに、新設された浜松城御門を見に出かけました。昨日来の空っ風もおさまり、またとない日本晴れの青空に僅かに紅葉し始めた木立の木漏れ陽が揺れゆれて、爽やかな日和になりました。

浜松城は建築型式としては平山城なのだそうです。天守は小さいですが、野面積みの石垣は野趣あって豪快です。ただ、石積みのデコボコ石段は登るのに少し難儀します。晴天の日には天守からは富士山が望めますが、昔の建築であるため、急な階段があり、老人にはあまり優しくない城です。旧名は曳馬城(引馬城 ひくま城)、今川家臣の飯尾氏の城でした。

家康は1570年に岡崎城からここへ移り、改修工事を行い居城としました。以後、家康が駿府城に移る1586年まで、この城は徳川家の重要拠点でした。家康が江戸に移ってから、城は堀尾吉晴に与えられ、堀尾家が松江に移った後は、徳川家譜代大名の城となりました。住まいした歴代の藩主が、幕府の要職に昇ることが多かっために「出世城」と言われています。現在の天守閣は1958年に再建されたもので、城門は2014年に新設されました。 ( 2014.10.29.)  

現在「出世大名家康クン」というマスコットキャラクターが、浜松市の観光宣伝にひと役かって活躍しています。 



お城への道


浜松城御門(2014 年新設)

浜松城天守閣 (2014.10.29.)

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飛騨高山市散策(岐阜県)

岐阜県の中央部から少し北に飛騨高山市があります。市の中心部には江戸時代の城下町や商家町が保全され、その景観が京都に似通っていることから「飛騨の小京都」と言われてきました。古くからの宮川朝市や陣屋前朝市にはお店が軒を連ねていて、飛騨高山の特産物や食品が売られています。山林資源の豊かさから幕府の「直轄領」となったほどですから、木材の加工品も多く販売されていました。「檜の押しずし型」や「檜のまな板」などを買ってかえりました。

ミシュランの旅行ガイドには「必見の観光地」として3ツ星がついているそうです。(2020.12.07.)










朝市
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気賀関所 浜松市 北区





大河ドラマ「直虎」のドラマ館が近くに設営されたため、北区は賑やかでした

 江戸時代、人の往来が多くなり、通行税の徴税や不審者の検問、警備のための施設が必要になりました。それが関所です。東海道の主な関所には、箱根関所や新居関所、気賀関所などがあります。幕末には全国に46もの関所があったのだそうですが、1869年(明治2年)、関所廃止令により、気賀の関所は歴史の幕を下ろしました。
(2017.3.16.)







 東海道を往来する公家や武家の奥方や姫君はこの街道を使用しましたので、「姫様道」「姫街道」と呼ばれるようになりました。気賀の関所はこれを監視するために慶長6年(1601)に徳川幕府によって設けられました。いまでもこの姫街道のお祭りには「姫様行列」の豪華な駕籠が練り歩きます。



(2017.3.16.)

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晩秋のガーデンパーク 浜松市(2016.11.22.)












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のんほいパーク 愛知県豊橋総合動物植物公園)

 浜松市の西隣に豊橋市があります。二川宿という東海道の宿場町があった所です。「のんほい公園」という総合施設があると聞いて、買い物のついでに寄ってみました。なかなかの広さがあり、動植物園と自然史博物館もあって、子供たちの学習の場として、良い施設だと感じました。古生代の標本が豊富に展示され、数体の恐竜骨格標本もあり、大人も十分に楽しめます。

ちなみに、「のんほい」とは、同意を求めるときに使う東三河の言葉で、語尾に付ける
「のん
と、人に呼び掛けるときに使う「ほい」という方言から作られたのだそうです。
(2020.10.7)














植物化石(2020.10.7.)

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日光東照宮


陽明門(日暮らしの門)


陽明門正面


陽明門木組み 


三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)


眠り猫(左 甚五郎)


三神庫(重文)


回廊(陽明門左右)


奥宮 唐門


奥宮 宝塔(家康埋葬所)


東照宮 杉並木
(2018.8.22.)
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清洲城(愛知県清須市)

正面


南面


城への橋


左に東海道線、正面は高速道路(昔から交通の要衝でした)


火縄銃(織田の三段打ちに使われました)


出土した金箔瓦
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明治村(愛知県犬山市)2016.10.12.

国指定重要文化財の建物10件を持つ野外博物館

旧帝国ホテル玄関


内閣文庫


歌舞伎呉羽座


内部


聖ザビエル天主堂



聖ザビエル教会内部


旧京都市電今も現役で園内走行





国宝犬山城

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白倉峡 (浜松市天竜区)

2013年の夏は猛暑続きだったために、各地の紅葉はあまり期待できない感じでした。本当に綺麗な澄んだ色の紅葉は、もはやよほどの山奥へでも行かない限り見ることが出来なくなってきたのでしょう。関西、特に京都の南禅寺や東福寺の紅葉は圧倒的な人気ですが、昨今は観光客であふれかえり、入場制限されながら並んでの見物はまるで風情がありません。若い頃に訪れた時の印象が崩れる感じがして、見に行く気が失せていました。

移り住んだ静岡県は自然がいっぱい、夕方の地元のTVでは盛んに紅葉情報を流しています。耳慣れない土地名が耳に入りました、浜松北部の「白倉峡」です。天竜区にあり、ひなびた田舎の楚々とした紅葉が紹介されていました。

152号線を北へ、天竜川に沿って走りますと、一方通行だと思うほど狭い山道に入ります、そこから数キロ、時折降りてくる対向車とのすれ違いに肝を冷やしながら登っていきますと、それはそれは可憐な紅葉の道が見えてきました。山奥の時雨と冷たい空気にさらされて、洗い上げられたような清々しい透き通った木々の錦でした。(2013.11.20.)



細い山道、手前左がすれ違い用の場所です


細い山道に入ります(本当は歩くべき道ですが、、)





道端のドウダンツツジの赤が見事です





登山道の入り口に車を寄せて、写真を撮りました


山の中腹辺りから、道は極端に狭くなります


天竜川にある秋葉ダム(昭和33年完成 桜の名所でもあります)


倒木とドウダンツツジ (2013.11.20.)

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富士サファリパーク(静岡県裾野市)



 富士サファリパークは、静岡県裾野市にあるサファリパーク形式の動物園です。屋外に設定されたコースをマイカーや専用バス、それにGPS搭載のサファリカーなどで走行しながら、動物を目の前で見ることが出来ます。
敷地は広大で、富士山を背景にした富士サファリは日本最大の広さがあり、園内に生息する動物の数も多くて、大人でも十分楽しめます。

サファリとは、アラビア語で「長期の旅」を意味するそうです。アフリカ大陸を陸路で移動しながら、野生動物を鑑賞したり、狩猟を行うことを言うのだそうです。そんな大きな旅は出来ませんが、動物に餌をやるシーンをTVで見て興味が沸いたジジババは、秋の気配がしてきた晴天の日を選んで勇んで出かけました。海側は晴れていたのですが、山に近い裾野市に入るとすぐに雲が垂れこめて富士山を覆い隠してしまいました。ここは園の真正面に富士山が聳えていて、それは素晴らしい景色なのだそうですが、低く垂れこめた雲は、無風のせいか少しも移動しないで、居座ったままでした。

二切れの鶏の足と生肉の餌を鉄火箸でつかみ、金網で囲った車の中からライオンに差し出して食べさせる車に乗りました。目の前でガバッと開けられたライオンの口の大きさに仰天し、擦り寄ってきたラクダの目に覆いかぶさる睫毛の長さにたまげ、童話に出てくるクマさんとはあまりに違う凶暴そうなでかいクマにたじろぎ、象のフンの臭いにへきへきとして、降りる頃にはくた~っと疲れてしまいました。

本来は草むらにいるライオンが、大きな木の枝の上でダラリと寝そべっているのは、人間に守られた生活で、野生を失いつつあるのでしょうか、、立派なタテガミを持った一頭のオスを数頭のメスが囲んで寝転んでいます。餌やりの車に寄ってくるのはメスばかりでした。オスは悠然としているのがまたなんとも言えません、今の時代の人間とは真逆なのが面白いなどと、ジジババはしょうもないことに感心しました。 

アムールトラなどの寒冷地に住む動物なら、あの環境も快適なのでしょうが、駱駝やシマウマなどの暖かい土地で生きてきた動物には富士山麓の寒さは辛かろうなどと、いらぬ心配までしてしまいました。でも、檻の中に人間が居て、外で自由気儘に振舞っているサファリパークの動物たちは、そんなことにストレスは感じないのかもしれません、それぞれにの~んびりとしていました。 (2014.9.02.)



短距離の王者チータ


木の上で寝そべるライオンの夫婦


うわー!でっかい口

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岐阜城からの眺望 (岐阜市金華山)

岐阜城は、岐阜県岐阜市の金華山(稲葉山)頂上にある山城です。元々は稲葉城と言いましたが、織田信長が、斎藤龍興から奪い取り、それまでの稲葉山城の縄張りを破棄し、新たに造営したものと言われています。城跡は岐阜城跡として国の史跡に指定され、岐阜公園とともに整備されています。

Wikipediaによれば、「信長公記」には、「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されているそうです。その後、1600年、関ヶ原の戦いの後、廃城となりました。

急峻な山の上に築かれた城は攻めることが難しかったことを思わせる造りですが、信長という名前から感じられる異形の凄さとか非情さは感じられませんでした。(2013.9.26.)


岐阜城天守閣


天守閣への道


岐阜城天守


天守閣から望む長良川と濃尾平野


金華山頂上の岐阜城と岐阜公園を繋ぐロープウエイ(2013.9.26.)



日本平ホテルからの眺望 (静岡市清水区)

静岡市清水区にある日本平ホテルは、近年リニューアルオープンし、国際会議も開催出来る水準を持つホテルとなりました。客室80室の小規模ながら、富士山をのぞむ眺望を生かしたロビーの設計と、そのロビーからガーデンに向かって開いている「ザ・テラス」のお料理が評判をよんでいます。

台風18号が駆け抜けていった翌日は、素晴らしい晴天で、まさに爽秋という言葉そのものの日になりました。ロビーからの富士山は、あまりの見事な青空に飲み込まれたようで、輪郭はうっすらでしたが、穏やかな顔をしてそこにありました。(2013.9.18.)


ロビー正面から富士山が見えるように設計されています


ホテルテラスに出れば駿河湾が広がります


ホテル外庭から


富士山と駿河湾


清水港と駿河湾
(2013.9.18.)

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松本城 (長野県)

松本城は、安土桃山時代の末から江戸時代の初期に建造されたと言われています。天守閣は国宝に、城跡は国の史跡に指定されています。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)と言われたそうですが、その黒い色合いから、烏城(からすじょう)とも呼ばれています。松本城は、山城ではなく、平地に建てられた平城であり、現在、日本に残っている唯一の平城なのだそうです。

すさまじい豪雨を浴びたあとの城は、凜として美しく、信州の風を受けて静かに建っていました。(2013.7.27.)





松本城南面


松本市街と天守閣


お堀


太鼓門


巨石と城門
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箱根関所跡と小田原城(神奈川県)

箱根関所跡
江戸幕府によって1619年元和5年から1869年明治2年まで、相模国足柄下郡箱根(現在の神奈川県箱根町箱根)の芦ノ湖の湖畔に設置された東海道の関所の跡です。
箱根関所というと、「入り鉄砲に出女」という言葉が有名ですが、主に武家が対象であったようです。江戸後期には厳しさが失われて、比較的取り締まりは緩やかになっていたということです。

車でいけば簡単に行けますが、深い山々や峠を越えて歩くのは、さぞかし難儀なことだったろうと思います。いくらでも抜け道や間道がありそうでいて、そうでもないといった場所でした。
(2013.7.01.)


箱根関所江戸口御門


関所大番所


京都口御門


箱根関所への道


芦ノ湖のほとりに建つ関所


お土産やさんも関所風


小田原城
北条氏の居城です。北条氏は日常の住まいを現在の天守の周辺に置き、背後にある八幡山を防御の拠点「詰の城」にしていました。3代当主北条氏康の時代には、難攻不落、無敵のお城といわれるようになり、上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えたのだそうです。江戸時代に改修されたものが、現在の小田原城址の主郭部分となっています。

この城は、豊臣軍に対抗するために作られた大きな外郭を持つのが特徴で、八幡山から海側に至る広大な範囲を土塁と空堀で取り囲んでいた遺構が、完全には撤去されずに残っています。風格のあるかなり大規模な城です。
(2013.7.01.)


小田原城天守閣


小田原城お堀


常磐木門
(敵がここまでたどり着くのは難しかった)

小田原城天守閣


銅門


一夜城趾

一夜城とは、豊臣秀吉が小田原の北条氏を海と陸から大群を率いて包囲した時の本陣です。「石垣山一夜城」または「太閤一夜城」と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中で、敵から見えないように城の骨組みを造り、一気に周囲の木を切り倒し、一夜にして城が出現したかのようにみせたということからきているのだそうです。実際には、お話のようにうまくいったかどうかは疑問です。しかし、石垣山からの相模湾の展望はなかなかのものでした。

東京から進出した有名パテシエの出店があり、都会的なお菓子のデザインは、女性客を引きつけているようでした。


一夜城ヨロイヅカファーム(左手下が相模湾)

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横浜三渓園と霧笛楼 (神奈川県横浜市)


三渓園正門
三渓園は、明治時代に生糸の貿易や製糸産業で巨万の財を成した原富太郎(原三渓)が作った日本庭園です。日本各地から集められた歴史的建造物と日本庭園をメインにした広大な大庭園で、建築ミュージアムとのような感じです。当時の富豪が持っていた桁外れの財力を思わされます。2007年に国の名勝に指定され、一般に公開されています。


大池


旧燈明寺三重の塔(室町時代)


鶴翔閣(三渓が住まいとして建てた家)
大池に沿って歩くと、行く手に茅葺き屋根が見えてくるように設計されました


臨春閣(江戸時代)


TVドラマ「坂の上の雲」の撮影にも使われたという橋


御門(結婚式の写真撮影にも一役かっているようでした)


旧天瑞寺寿塔覆堂(桃山時代)


聴秋閣(江戸時代)
(2013.5.09.)



霧笛楼は、1981年に横浜に開店したフランス料理のお店です。明治の開港時代における元町から中華街に通じるあたりを舞台にして書かれた大佛次郎の小説「霧笛」が店名の由来なのだそうです。ロマンチックですね、、

港町横浜のおしゃれな雰囲気を残していて、家具調度品やお皿、カップなどに横浜のノスタルジックな歴史や文化が感じられます。どこか懐かしい雰囲気を持つレストランでした。




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トヨタ博物館と豊田佐吉記念館



1989 年にオープンしたトヨタ博物館は、19 世紀末から20 世紀におけるガソリン自動車の歴史と発展を、アメリカやヨーロッパで製造された当時の自動車を展示することによって、来訪者の目に見える形でわかりやすく伝えています。

展示された自動車を見ていますと、アメリカや欧州の車に比べて、戦後すぐの日本で生産された車は、見かけも性能もひどく劣っていますから、今、日本の車が世界を席巻していることが信じられないような気がしてきます。

華麗という言葉がぴったりの欧州車は、その豪華さと美しさで目を引きます。王室や大富豪の桁外れの富を感じさせられます。そして、昔のアメリカのTVドラマ「サンセット77、ハワイアンアイ」などに登場した超大型の平たいアメリカ車は、力強さとサイズの大きさで見る者を圧倒します。燃費などを考えなくてもよかった時代の車でした。

「20世紀は車に恋した時代」と言われているのだそうです。本当にそうですね、そのおかげで、車は長足の進化発展をとげ、人の生活や環境を変え、考え方にまで深く関わるようになりました。そして時代は変わり、今は未来の為にいい環境を残す必要にせまられています。ガソリンに代わるエネルギーを探る課程で出来た画期的なハイブリッドの技術や、電気で動くエンジンなど、技術の国日本が、その開発の先頭を走ってほしいと願いながら、懐かしい想いで美しい昔の車たちを見て廻りました。(2013.4.25.)

愛知県長久手市


トヨタ最初のモデルAB (1936年製)
シックな色と型です、今から77年前に登場しました。


運転席、ベンチシートにフロアーシフト、懐かしい仕様です。


自動車の原型(すでに、走行に必要なものは揃っていました)


スタンレースチーマーモデルE2 (1909 年アメリカ)


フォード モデルT(1909年アメリカ)
後に流行するT型フォードの原型です。



ロールスロイス シルバーゴースト (1910 イギリス)
シルバーの試走車が幽霊のように静かに走ったことからこの名前がついたという、ロールスロイス最大の傑作と言われている車です。




イスパノイザ アルフォンソⅩⅢ(1912 年スペイン)
王妃からアルフォンソ王に贈られたもので、史上初の本格的スポーツカーと言われています。


ミネルバ モデル30 CV タイプAC (1925 年ベルギー)
世界の王室や富豪に愛用された名車です。


ベントレー4 1/2 リットル(1930 年イギリス)
ベントレーは1920年代にはル・マン24 時間レースで4連勝をはたし、高速で長距離走行が可能な車としてすでに有名でした。



メルセデスベンツ 500 K (1935年ドイツ)





フォード モデルGPW (ジープ・1943年アメリカ)
小型の四輪駆動車、米兵がガムをばらまいた車でしょうか、、



フォード サンダーバード (1955 年アメリカ)
V8エンジン、スポーテイで高級なパーソナルカーとして登場しました。


キャデラック エルドラド ピアリッツ(1959 年アメリカ)
V8の力強さと豪華さを誇った大型車で、1950 年代アメリカ車を代表する車です





ジャガー Eタイプ(1965 年イギリス)
ロングノーズ、ショートデッキは後のスポーツカーに大きな影響を与えました


フォード モデルT(1908年~1927 年アメリカ)
(黒い車:センタードアセダン1915、緑色:クーペ1927)
大量生産され、1908年から1927年までに1500万台が生産されたといいます。ベストセラーカーで、今でも実際に運転出来る車です。

写真はトヨタ博物館で撮影
・各車の説明は、博物館の展示解説より抜粋(2013.4.25.)


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豊田佐吉記念館(静岡県湖西市)

豊田佐吉記念館は、トヨタグループの創業者 豊田佐吉の生誕120年を記念して、生誕の地、静岡県湖西市に1988 年に開館されました。佐吉の生家を中心に、佐吉が発明した数々の織機やゆかりの品々を展示しています。発明に没頭した小屋のたたずまいや、当時の生活様式も見ることが出来ます。

明治23年(1890)日本初の木製人力織機を開発し、1897年には日本初の動力織機を完成させました。そして1926年に画期的な豊田式自動織機を完成します。その後、息子喜一郎が国産自動車の製作を開始し、技術大国日本のさきがけとなりました。(2013.4.28.)



記念館入り口


豊田佐吉生家


鉄と木で作られた最初の動力織機
(これが現在のトヨタ車につながったのですから、驚きます)

 ( 2013.4.28.)

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時の栖ときのすみか(静岡県御殿場市)

御殿場高原 時之栖(ときのすみか)は、富士山の麓に6万5千坪をようし、多数のレストランや温泉施設、スポーツ施設などを併設した高原リゾートで、毎年のイルミネーションが人気を呼んでいます。園内にはホテルやレストラン、各種手作り工房があり、御殿場の地場産業の振興にも貢献しています。パン、チーズ、生ハム、ソーセージなどが品揃え豊富でした。(2012.12.14.)


時の栖光のアーチ


光のトンネルは3個あり、長く続いています


今年の噴水テーマはベルサイユの光だそうです












時の栖イルミネーションは規模が小さいですが、キュートです


今年のテーマは青森ねぶた


青森ねぶたを模したイルミネーション

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冬の富士山(御殿場への道)


由比町付近から、右側は駿河湾


野市から御殿場方面へ(宝永の噴火跡が真正面に見えます)

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中村家住宅(重要文化財) 浜松市西

今川氏の家臣として代官を勤めた中村家は、浜名湖の航行権利を得て繁栄していましたが、永禄11年(1568)当主だった十八代中村源左衛門正吉は、徳川家康が今川領だった遠江国(遠州、現在の静岡県大井川以西)へ侵攻した際に、自ら船を出して家康を迎えたのだそうです。その功によって、浜松城に移り住んだ家康にとりたてられました。そして、天正 2年(1574)2月 8日、家康の 二男である於義丸(秀康)が、中村家の離れ屋敷で誕生したと伝えられています。生母は家康の側室小督局(お万の方)です。

国の重要文化財に指定されている主屋の建築は、貞享 5年(1688)頃だそうです。平成12年(2000)浜松市に編入された雄踏町が、平成13年度から15年度にかけて解体修理を行い、当初の姿に復元されたということです。

邸内で催される秋の茶会にお誘いを受け、邸内を見学することが出来ました。(2012.11.11.)


屋敷を取り巻く塀と古木


長屋門


中村家裏庭


胞衣塚の門扉(葵の紋所がついています

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中央アルプス駒ヶ岳ロープウエイ 長野県駒ヶ根市


駒ヶ岳 2612メートル


駒ヶ岳 千畳敷カール


アルプスの向こうに富士山(2612mの駒ヶ岳から望遠で)


最高地のロープウエイ(好天で満員)


少しだけ紅葉(ロープウエイ降下中の動画から)


夕刻お迎えのゴンドラが到着


頂上の駅施設が小さいのが難点です(人が溢れていて驚きでした)
PM5時に下山、気温すでに5度 (2012.10.13.

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本田宗一郎ものづくり伝承館(浜松市天竜区二俣)


(こじんまりとした建物、以前は二俣役場でした)


玄関前に置かれたホンダC型バイク(バイクのさきがけ)


ホンダカブ(一番売れたバイク)



あなたが一代で作った会社の名は、いま地球を蔽っている。 ニッポンを知らない人も、あなたの会社を知っている。それほどの会社を、あなたは20年も前に、若い後輩たちに託し、一気に身を退いた、まるで急に仕事に飽きたかのように。

そのあなたの中で、いまも仕事がそれほど好きであろうとは、、


引退後は何が一番面白いかと聞いた城山に、本田は「仕事、本当に面白いのは仕事だけ」と答えたといいます。引退後はゴルフをやり、絵を描き、陶器をつくり、様々に楽しんでいるかに見えた本田が、仕事が一番面白いと言ったことにたいする驚きと、敬意があふれるこの言葉は、読む人の心を打ちます。


引退後に習った絵画は、上達が速かったと聞きました
(ふるさと天竜の村風景が穏やかに描かれています)


本田宗一郎独特の笑顔(浜松やらまいか精神に溢れています)

質素なたたずまいの「本田宗一郎ものづくり伝承館」に行ってきました。ホンダと言えばバイクです。戦後ようやく復興の兆しが見え始めた頃、四輪よりも先に、庶民はホンダのバイクに出会いました。バイクの時代が、遠い昔の日本にもあったのです。ホンダは実用一点張りのバイクの椅子を赤色にして、貧乏一色だった日本に元気色を伝えていました

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河口湖周辺と忍野八海(おしのはっかい)


河口湖は、富士山の噴火によって出来た堰止湖である本栖湖、精進湖、 西湖、河口湖、山中湖、の富士五湖のうち、最も長い湖岸線を持ちます。水深は3番目、湖の中央に鵜の島と呼ばれる小さな島があります。
周辺は店舗が多く、観光化して景観が悪くなり、自然を楽しむには難があるように思いました。



河口湖からの富士山



802年の富士山延暦噴火により、宇津湖が山中湖と忍野湖に分かれ、後に忍野湖が乾き盆地になり、湧水口が8カ所、湧泉群として残った姿が忍野八海ということです。ここからの冬の富士山が絶景と言われていますが、観光客も多く、雑然としていて、富士山もめったに良い姿をみせないようで、あまり魅力的とは思えませんでした。


忍野村の古い民家


澄み切った水の中を、金色の鯉が泳いでいます


忍野村の水車 82012.9.24.)

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駿府城跡公園(静岡県静岡市)

 徳川家康の居城として建てられた駿府城は、現在の静岡市駅から近い所に、堀と櫓や門が残っています。二代目秀忠に将軍職を譲ってから、家康は駿府城に戻り、大御所政治の拠点として城を拡張しました。
東北大地震で堀の一部が崩落しましたが、補修されました。左の白い石の部分が、補修された石垣です。


お堀


櫓門北面(太い梁が見事です)





東御門(二の丸の主要な出入り口でした)


東御門北面
(2011.10.13.)

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高遠の桜
 遠城は高遠頼継の居城でしたが、後に武田信玄の山城となり 別名兜山城とも言われています
町の小高い丘にある城趾公園にはこの地独特の「こひがんさくら」の古木がひしめくように咲き競い、小高い城跡全体が濃いピンク色に埋まってしまっているかのようでした。

高遠は1700年代将軍家宣の時代に江戸城の奥女中だった「絵島」の悲劇を見てきた町でもありました。
「絵島事件」後、彼女は遠流となり61才で亡くなるまで、罪人としてこの地に生きたのだそうです。











「絵島囲屋敷」として、忍び返しやはめ殺し格子のついた家が再現されておりました。


絵島囲屋敷平面図(高遠町歴史博物館パンフより)


 (2010.4.13.)
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世界遺産 「五箇山菅沼集落 (富山県 南砺市)




  世界遺産登録 平静7年12月9日

平成7年、世界遺産になった五箇山集落には今は住む人はなくなりましたが、町を挙げてこの集落を盛り上げようとしています。降りしきる雪の中で、多くの人達が観光客の案内と接待につとめていました。(2012.2.04.)




















2012年は豪雪の冬になりました。雪が見せてくれる素敵な風景はいっぱいありますが、その中でも幻想的で美しいのが、雪に埋もれた合掌造り集落の景色です。大雪のこの時期は、ライトアップが限られた日しかない五箇山を訪ねる絶好のチャンスです。東海環状道路に東海北陸道路がつながり、浜松から富山までは日帰り往復が可能になりました。

解説によれば、ここは、もともと加賀藩の、いわゆる「政治犯」を流し、牢に押し込めておく所に指定されていたということです。五箇山は山深く、冬は豪雪で人が近づけない地域でしたから、簡単に出入りが出来ない土地でした。そのために政治的な対立者を閉じ込めておく為の流刑地になったのでしょう。加賀藩は、流人の逃亡を防ぐため庄川に橋を架けることを禁じ、一人では往来できないように、ロープに篭を引っかけて渡すという方法をとらせていました。明治以降は流刑の制度がなくなり、橋も架かりました。今は当時をしのぶ一軒の流人小屋だけが残っているのだそうです。

時の権力の側(がわ)から疎んじられ、抹殺される者は、いつの時代にも居りました。 幽閉され、志かなわず、この地で一生を終えた人の無念が伝わってくるような話でした。

 






故郷の風景 城址の桜 (新潟県村松)













































掛川花鳥園 (静岡県掛川市)














梟の飛翔  (2008.4.30.)




昇竜しだれ梅 (浜松市)
浜名湖を臨む大草山梅園のしだれ梅とクリスマスローズ














クリスマスローズ


お土産に浜松特産のガーベラが準備されていました
2022.3.07.




四条河原町界隈 (京都市)


烏丸通り(ビルだらけで、車の多さに唖然)


四条河原町交差点(突きあたりは祇園八坂神社)


夜の南座


四条大橋から河原町方面(老舗「東華菜館) 2013.6.04.

古い友人達との会合で久しぶりに京都へ出かけました。平日なのに、ひどい人出です。繁華街のアーケードの下は、まるで大阪の心斎橋筋かと思うほどの人であふれかえっています。車の乗り入れを規制しているはずなのですが、そんなことはお構いなしの激しい車の往来で、排気ガスの匂いが充満しています。「古都京都」にふさわしくない空気でした。
昔と比べるのがいけないのでしょうが、それにしても年々京都の街は荒んでいくように思います。経済最優先ですから仕方のないことなのでしょう。昔ながらの小さな老舗のお店は、そのほとんどがビルになり、名前も変わっています。淀んだ排気ガスに埋もれた京都の街は、なんだか憐れに見えました。歩きながら三脚もなしで撮った写真は、昔を懐かしんでか、ブレて揺れ揺れになってしまいます。


街に詳しい友人の紹介で訪れた店は、四条の鴨川沿いにあるロシア料理レストラン キエフ Kiev でした。ソ連時代だった1971年に、キエフ市と京都市が姉妹都市になったのをきっかけに始められたお店だそうで、あの伝説の歌手加藤登紀子さんの弟さんが経営し、彼女もときどきライブ公演を行なうのだそうです。京都では珍しく、本格的なロシア料理がいただけるお店です。
一緒に饗された「ロシアのシャンパン」と称するグルジアのスパークリングワインは、首都トビリシ(グルジアは旧ソビエト連邦の構成国のひとつで、首都はトビリシです。温暖な気候を利用したワイン生産が盛んな国なのだそうです)の名前がついた珍しいもので、ほの甘く軽めに出来上がっていて
、例えて言えば「花嫁さんのシャンパン」といった、風情のある柔らかい口あたりです。 かわいらしく繊細で、かのスターリンの出身地グルジアからやって来たということが意外な感じの味でした。(2013.6.04.)
 



Kiev キエフ店内(湯沸かし器サモワールが沢山ありました


オールドトビリシ(グルジアのスパークリングワイン


そば粉入り黒パン

豊川稲荷神社(愛知県豊川市)

 豊川稲荷は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院で、正式名は妙厳寺(みょうごんじ)と言います。
古くから、商売繁盛の神様として信仰を集め、伏見稲荷、祐徳稲荷とともに日本三大稲荷の1つとされています。本尊は千手観音、これは吒枳尼真天(だきにしんてん)という女神様なのだそうです。奉納された幟には、この吒枳尼真天の赤い文字が書かれていました。

豊川吒枳尼真天は、白狐の背に乗り、稲束をかついで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女の形だったということですから、なんとも勇壮な姿であり、絵画的でメルヘンチックな感じもいたします。

狐の好きな油揚げに包んだお寿司が名物とあって、門前町は稲荷寿司の店がいっぱい並んでいます。「いなり寿司」がことのほか好物である連れの為にも、そして本場物を食べてみたいという口卑しい気持ちの両方で、行列に並んで食べ物を買うということをいたしました(笑)。帰宅してすぐジジババは、お茶を淹れ、ソワソワと包みを開けて、食べてみました。

、、、何の変哲もない、ごくフツーのおいなりさんでした。
どこからかぬるい風が吹いて、狐がコーン、、と、ないたような、、冬の終わりが近い暖かい日のことでした。 (2012.2.21.) 



門側の鐘撞き堂


豊川稲荷本殿


本殿前の守り狐(近くで見るとなかなかの風格です)


本殿横


千本幟の道(吒枳尼真天にそれぞれの願いをこめて奉納された幟がはためく参道)
(2012.2.21.)


加茂花菖蒲園   (掛川市)  



加茂家は桃山時代の庄屋で、浜松城主であった徳川家康よりの書状や古文書が多く残されています
約1ヘクタールの花菖蒲園には、1500品種100万株が植えられ、雨模様の空に美しく映えていました。








(可愛いホクシャの花、温室には沢山の吊り花が育てられています)





(長屋門、厩、母屋の階下などは江戸時代中期の安永二年に建てられ、約二百二十年を経ています)

花菖蒲は厄除けとして古くから作られてきました。
さつきの頃に屋根の庇に菖蒲がくくりつけられていた風景は、もう知る人も減っているのでしょう

(2010.6.15.)



富士屋ホテルと箱根神社 (神奈川県箱根町宮ノ下)

 富士屋ホテルの案内によれば、創業者山口仙之助は、明治政府から派遣された欧米使節団の岩倉具視に従って威臨丸でアメリカに渡り、見聞を広げた後、牧畜用の種牛を仕入れて帰国、その後牛を売却して資金を作り、明治11年、外国並みの設備を持つこのホテルを建設したということです。

当時の日本にはまだ外国人向けの専用ホテルはなかったですから、彼は日本ホテル業の基礎を作ったと言う点でも草分け的な存在となりました。彼はホテル建築の条件として以下の3点を考慮に入れました。

・外国人に人気の富士山に近いこと
・東京や横浜から近いこと
・温泉があること

この立地条件に合致した箱根宮ノ下に建設を決定したとのことです。先見の明がある人の発想は、いつの時代でも感心させられるものがあります。

今回はメインダイニング「The Fujiya」の80周年記念ランチに出かけました。



鬱蒼と繁る樹木と借景の山に調和した明治建築の粋(今も客室として稼働しています)


レトロな洋館

メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」

古き良き時代を彷彿とさせるメインダイニング


箱根の湧き水をベースにしたというコンソメスープ

帰途立ち寄った箱根神社(九頭龍神社)は、交通安全、心願成就、開運厄除などの開運の神様として信仰されています。
関東総鎮守箱根大権現として関東における山岳信仰の一大霊場だそうです。


山を背景にした格調ある本殿です(思いの外大勢の参拝者達にびっくりでした


深い木立に、箱根の山は「天下の険」という言葉が思い出されます





鮮やかな朱色が山の緑に映えます
(2010.8.01.)


浜松市動物園の動物達

































































佐鳴湖の花火(浜松市佐鳴台)























鎌倉とローストビーフ

 鎌倉の大仏
・・・かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな・・・

与謝野晶子のうたで有名な鎌倉の大仏は、もとは奈良の大仏のように屋根があったのだそうですが、その屋根が津波などに流された後は、そのまま野天にさらされてきたということです。

雨模様の空に、愁いを帯びたお顔がなんともいえず美しく静かでした。確かに「美男におわし」ます。ガンダーラの仏頭などと似通った異国的なお顔は、屋根がない方が開放的でバランスがいいと感じました。薄い口ひげがまた魅力的で、表情の豊かな大仏様です。




鎌倉の大仏(死者の魂を鎮めるため建立、重さ122t、高さ13m、国宝)


側面から見ると下向きで、慈悲の心を感じさせるお姿です


「鎌倉山」のローストビーフ

レストラン鎌倉山のローストビーフを「暮らしの手帖」が絶賛していたのは、もう今から20年以上も昔のことだったと記憶しています。素晴らしい立地環境と閑静な鎌倉の住宅街にあるローストビーフ専門のレストランとして紹介記事が書かれていました。クラシックな雰囲気が感じられるゴージャスな部屋や調度品、テーブルのしつらえ写真もついていました。

現在は数店の支店を東京に出していて、宴会や結婚式も行っています。「鎌倉山」なりにバブル崩壊後の苦境期を何とかくぐり抜けてきたのでしょう。そのせいかお店の垣根も低くなり、ツアーを受け入れ、ランチも提供していることを知りました。「肉料理」は好みではないのですが、連れ合いの「ニク好き」に長い間付き合ってきましたから、焼き方が難しく、何度か挑戦したものの、満足のいくローストビーフが仕上がらなかったこともあって、ついつい出かけてみる気になりました。

ひと月以上も前に予約をして楽しみにしていたのですが、「雨オンナ」のジンクスをうっかり忘れておりました(笑)。晴れて欲しいと願う気持ちが強いほど、雨がその日めがけて降って来ることを、、

やっぱり、昨日までの陽気はどこへやら、時々雨の落ちてくるあいにくの天気になってしまいました。帰宅後、連れ合いはポツリと感想を言いました「雨が少し降ったけど、旨かったから、まあいいワ、、」

追記
看板のローストビーフは、赤い肉汁がお皿に滴ることがなく、肉の中にしっかりとうまみが閉じ込められていて、流石の焼き具合でした。グレービーソースも美味しく仕上がっていました。柔らかい肉をこのように薄く切るシェフさんの腕前にも感心しました。2011.2.24. 


ローストビーフの切り分け(鎌倉山)


鶴岡八幡宮(源氏、鎌倉武士の守護神 (雨でもけっこうな人出でした)


大銀杏の切り株(神社のシンボルでしたが、2010年春に強風で倒れたそうです


八幡宮鳥居ごしの門前
若宮大路(鶴岡八幡宮参道) (2011.2.24.)

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春爛漫の舘山寺(浜松)2010.4.6.




舘山寺への道
桜が満開、車や人も少なく、通り抜けお花見が出来る絶好のスポットです


浜松市西区から舘山寺への道は、かって有料でしたから、綺麗に並木が作られています。


舘山寺温泉街、往年の賑わいはないのですが、周辺が整備されていていい所です
正面奥が遊覧船船着き場、右手は舘山寺温泉街です。)


右手大草山へのロープウエイ、塗り替えられた遊覧船が下をくぐって出て行きます。(2010.4.6.)
 
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