ようやく春爛漫の季節となりました。ありがたい事に、新しい土地で二度目の春を無事に迎えることができそうです。今年の冬は天候が不順で、三月の寒さには少し参りました。もう春だというお告げのような暖かさが続き、冬の厚ぼったい下着を脱ぎ捨てた日から、冬が逆戻りしてきたのですから、こたえる寒さは二倍になって感じられました。おまけに、大したこともないと、たかをくくっていた「遠州灘の空っ風」が、三月に入ってから、ノーテンキな新参者に思いしらせでもするかように、牙をむいて、何度か吼えてみせたりしました。北向きの勝手口を開けるたびに「ウッヒャ~、、」と、慌ててドアを閉める日が何日か続きました。 冬の「空っ風」だけが計算外、想定外でしたが、あとはほぼ予定通りです。誰にも邪魔されず、気兼ねせず、好きなものを作って食し、ノンキに毎日が過ぎていきます。移転に伴うもろもろの雑事は、この1年でおおかたは終わりました。やっと土地にも慣れ、土地勘もボチボチと出来つつあります。好きなことも、だんだんにやれるようになりました。落ち着いてきたというのでしょう。 仕事をしていた頃は時間を作ることが大変だったパソコンも、いくらでもやれるようになりました、とは言っても、一人身ではないおババのことですから、連れ合いの食事の支度や家事もろもろは、きちんとやったうえでのことですが、、それでも時間はたっぷり使うことができます、これは最も嬉しいことでした。 何であんなに忙しかったのかと、つくづく思い返して嘆息することがあります。もう少し気持ちに余裕を持って生活が出来なかったのだろうかと。ドタバタと、がさつに生きてきたことと、何事も丁寧にゆっくりと出来ない性格に対しては、かなり忸怩たる思いがあります。自分の人生は成功だった、幸運だったと言いきれる確たるものは何もありません。けっこう不満や不平が多い人間ですから、これではアカン!こんなはずではない!なんてことばかりでした。 子育ても決して成功だったとは言えませんし、やってきた仕事自体も到達感からは程遠いものがあります。このような不発弾のごとき思いがブスブスと澱んでいる所で引退し、老後の命を細々とつなぎ、感動的、刺激的な出来事など、あるはずもない「おまけの人生」を、そのまま続ける気にはどうしてもなりませんでした。場所を変えたところで、そうそう感動的な面白いことなどあるわけがないことは、充分承知していましたが、失敗してもともとだと、居直りました。 ただ、深く考慮して決めたたわけでもないわりには、この街はいい所でした。なんとなくカリフォルニアに似た雰囲気を感じさせる乾いた空気と、蒼空が高く広いのが何よりです。浜松に新しく住まいを作り、来ることが出来たのは、晩年の幸運だったと思わなければならないのでしょう。 ここに来てから、夕暮れの太陽が様々な姿で落ちていくのを発見しました。大気の乾き具合で、落日の輝きは変わるのですね、夕刻時に忙しかった現役時代には知るべくもないことでした。毎日ダイニンングの窓ごしに沈んでいく太陽を、ゆっくりと楽しむことが出来ます。それが明日に希望を繋ぐ気持ちになれるから不思議です。太陽を復活の象徴として崇めた古代エジプトの王達の心が、チョッピリわかるような気がしてきました(笑)。少しは自然と仲良く出来るようになったせいでしょうか、いや、それとて、トシを重ね、時間があるせいだと言われてしまうかもしれませんが、、 昨日は三ケ日の丘から富士山の真っ白な頭が大きく見えました。黄砂が飛んできて、あたりがかすむ日が多く、花曇りが当たり前のこの季節には珍しいことでした。遠回りした帰り道、夕映えがことのほか赤く映って、透明さを増した浜名湖の湖岸を、スピードを落としてゆっくりと走りながら、さまざまに浮かんでくる埒もないことを、思いめぐらしていました。「ふたたびの春」が間近な、晴れた一日のことでした。 エッセイ目次へ ホームトップへ |